貧乏な俺は、いつも自分のお金や使い道を計算して、何ができて何ができないか、どのくらい余裕があってどのくらい足りないのかを把握してるんだけど、ここ半年くらいは、給料日の2週間前くらいからピンチの時が多い。
光熱費は多少滞納しても問題ないんだけど、食費とガソリン代は、ないと生活や仕事ができなくなるので死活問題だ。
今月も給料日1週間前からピンチで、ガソリンを1000円分入れて、食費は600円で何とか切り抜けようとしていた。
つまり、給料日1週間前の時点で、全財産が1600円しかなかったということだw
でもふいに、とあるクライアントワークの報酬3万円を受け取り、一気に余裕ができた。
滞納する予定だった光熱費を銀行に預け、ガソリンを満タンにして、髪を切って、食料やお菓子を買ってもまだお金が残っている。
そして2日後には給料日が訪れるので、贅沢をしなければ大丈夫な状況になった。
でもこの時俺は、「つまらないな」と思った。
問題なく生活費を支払い、普通に暮らせることがつまらなかったんだ。
それよりも、「1600円であと2週間も生きなきゃいけないよー!どうしよう」って時の方が断然楽しかった。
つまり俺は、貧乏が好きなんだ。
正確には、ピンチをどうにか切り抜けることが好き。
それも立派なひとつの青春だと思った。
現状を打破するためにどうするか、考えたり試したりすることは楽しい。
例えうまくいかなかったとしても、その過程は確実に自分の成長と経験に繋がる。
だからむしろ、お金に余裕があって、お金で何とか解決できたらつまらないことが増える、ということだね。
でも逆説的だけど、だからこそ俺はいつまで経っても貧乏なのかもしれないw
元々さほどお金に興味がない性格もあり、収入を高めることが大事だと分かっていても、あまりやる気が出ない。
だからこそ好きなことややりたいことをやっていくという、強いこだわりを持ち続けてるんだと思う。
好きなことややりたいことをやると楽しいし、貧乏で厳しい状況下の方が楽しいなら、そんな生き方になるに決まってる。
だからこそ、お金を稼ぐためだけに嫌なことやつまらないことをする時間が許せないのかもしれない。
良い解釈をすれば、根っからのアーティスト気質で、悪い解釈をすれば、いつまでも自立できない子供みたいな感じだね。
でもね、例え貧乏で将来性がなかったとしても、幸せな人生を生きることができればいいと思う。
逆にお金持ちで将来性があったとしても、幸せな人生を生きることができないなら、お金を沢山持ってる意味がない。
しかも、幸せな時間を過ごせていない人ほど、お金を無駄遣いして散財してしまいがちだ。
お金の使い方も、時間の使い方も、どれだけの価値と意味を見出せるのかが大切。
100万円を使って不幸だと感じる人もいれば、1000円を使って幸せを感じる人もいる。
生きる意味は人それぞれだけど、みんな幸せな人生を送りたいと願っていると思う。
もちろん、その内容も人それぞれ違うけど、俺は俺なりに夢を追いかけて、青春していければいい。
ブラック企業で働きながら、お金はあるけどゾンビ状態だった頃と今を比べたら、随分幸せな人生になった。
周りから見たらそうじゃないかもしれないけど、自分がそう思えてるならそれでいい。
みんなも幸せな時間を過ごせるように、色々考えたり行動してみてね☆