過去の記憶と世界

時間は、常に進み続ける。

諸行無常。全ては変わり続ける。

ずっと同じままではいられない。

生まれては消えていく。
消えては生まれていく。

 

記憶は薄れていく

時間が過ぎれば過ぎる程、記憶は薄れていく。

遠い昔、初めて歩けた日のこと。
きっと、多分親が大喜びして褒めてくれた。

でもそれを覚えてるわけじゃない。

皆そうだから、今、実際に歩けているから、
赤ちゃんの頃、そうだったんだなって分かるだけ。

 

中学生の時に付き合ってた人と、
何をしていたか、何を話していたか、
どんな気持ちだったか、
もう、ほとんど覚えていない。

きっとどこかで生きているんだろう。

例え会えたとしても、俺と同じように、
付き合ってた頃の記憶なんて、
もう、ほとんど覚えていないんだろう。

昔仲良しで毎日遊んでた友達も、
久しぶりに会えたら、きっと、
「あぁ、昔仲良しだった人だ」って思うだけ。

過去になればなる程、絆も薄れていく。

親友から友達へ。友達から知り合いへ。

それはとても寂しいこと。

 

過去の世界は消えゆく

時間は進み続け、過去の記憶が薄れていくなら、
それは、過去の世界が消えていくということ。

歴史上の大きな出来事は、記録として残る。

今の時代なら、ブログとかでも残せる。

でもそれも事実として残るだけ。

例えば、俺と前カノの2人だけしか知らない秘密があって、
お互いその秘密を忘れてしまったら、
それは、この世界から完全に消えてしまったということになる。

時に過去は、なかったことになる。

他人と記憶の照合をして、確かめて、
過去の事実は本当にあったことだと認識する。

もし自分の記憶を他人と照合できなかったら、
過去の記憶を疑うこともあるだろう。

記憶なんて曖昧で、不確かで、改ざんされるもの。

少しずつ、思い出せなくなっていく。

特に、感情はね。

嬉しかったこと、悲しかったこと。
好きだったこと、嫌いだったこと。
感謝の気持ちも、憎悪の気持ちも。

気が付けば「そんなこともあったね」って、
何となく思い出せるか思い出せないかのことになる。

 

真と偽

何が真実で、何が偽物かも、分からなくなる時がある。

過去のできごとや記憶から、できるできないの判断もしてしまう。

「自分は昔こうだった、だから今こうなっている。」

「自分の今はこうだ。それは昔こうだったから。」

今の現状と、過去の原因を繋げる。

時にそれは誤りで、真実ではない。

昔は友達が全然いなかったけど、
今は沢山の友達がいる人もいる。

どうしようもない不良だったけど、
今は先生をやってる人もいる。

さぁ、どっちが真実で、偽りかな?

本来は友達がいないような人なのか、
元々友達が沢山できるような人なのか。

本来は不良な人なのか、
元々先生になるような人なのか。

どっちが真実で、偽りかなんて、
考える必要はない。

答えを教えてあげるよ。

今が真実で、過去が偽りなんだ。

『過去』は消えて、『今』は存在してるから。

何が真実で、何が偽りかも、
変わり続けてるってこと。

 

『今』を駆け抜けよう!

青春の定義は、
仲間と熱い今を駆け抜け、希望と感動を巻き起こすこと。

過去は少しずつ消えていく。過去を変えることはできない。

未来は誰にも分からない。未来は『今』の連続で創られていく。

なら『今』を精一杯生きることしかできない。

過去に生きてはいけない。未来に生きてもいけない。

過去に執着するな。未来を恐れるな。

『今』できることに全力を尽くせ。

小さくてもいい。今日も一歩前に進むんだ。

青春しようぜ☆

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