十代の学生やヤンキーと社会人を比較して見えた、自由と青春を手に入れる戦い

青春といえば十代の学生が思い浮かぶけど、その時期はいつの時代も、ヤンキーが目立つしカーストの上位を占めている。

大人にから見たら、「そういう奴らは社会人になってから苦労する」と思うかもしれないけど、社長になって成功する人もいれば、ブラック企業で過酷な待遇の中働き続ける人もいるので、真面目に勉強してきた人同様、どうなるかは人による。

 

俺はといえば、けしてヤンキーではなかったけど、十代の学生時代から自由に好きに生きていた。

もちろん完全にではないけど、髪を染めたりバイクに乗ったり、学校には行ったり行かなかったり、好きな時間に行ったり帰ったりもしてた。

それでも無事に卒業できたのは、低レベルな高校だったからかもしれない。

 

でもタバコは吸ったことないし、暴力を振るう喧嘩は中学1年生の時が最後なので、やっぱりどう考えてもヤンキーではなかった。

これもある意味希少な存在で、真面目に勉強しているオタク系の人たちとも仲良くしてたし、ヤンキー軍団と一緒に遊ぶこともあった。

それこそ自由人といった感じで、あまり深く考えずに「楽しければいい」感覚で生きていた。

 

それでも社会人になると、多くの人たちは普通に働き始めて、ヤンキーだった奴らもそれなりに落ち着いて普通になっていった。

年齢を重ねるのは、そういうことかもしれない。

段々普通になっていく人が多い。

 

十代の学生時代は法律上、親が生活を保障してくれるので、学校に通わないといけないという制限はあるものの、かなり自由に生きられる。

自我に目覚め、アイデンティティが確立され始めて、自分という存在が明確になっていく。

 

そんな中、学校や社会のルールに歯向かって自分を貫き通すヤンキーは、人によっては憧れの対象になる。

特に男性は、本能的に社会的地位を高めようとするので、集団の中で上位の立場になろうとするのは、ごく自然なことかもしれない。

 

でも社会に出ると、ほとんどの人は会社に雇用される形で労働をしなければいけない。

そこには社長や店長、管理職や先輩たちがいて、どうしても自分は下っぱからのスタートになる。

そして、どんな会社に勤めているか、年収はどのくらいか、どんな立場でどんな仕事をしているのかが新しい価値基準になり、大抵の場合、ヤンキーと真面目くんの立場が逆転する。

 

つまり、学生から社会人になることで、フィールド自体は変わるものの、全体の基本的な構造は変わらない。

みんな上を目指すし、競争や勝負をしなきゃいけないし、成り上がる人もいれば落ちこぼれる人もいる。

良くも悪くも、人間としての生き方は同じなんだよね。

 

俺が中学生の時は、未来にそれなりに希望を持っていたし、ありがちな夢も持っていた。

でもそれらは、大体20代半ばくらいまでの構想だった。

 

高校生になると、社会人になることに抵抗感と絶望感を抱くようになった。

高校を卒業して20代半ばを過ぎたら、その後の人生は少しずつつまらなくなっていくと思っていた。

何なら、30歳になったら人生終わりだと思ってたくらい(笑)

それくらい、大人になるってことは不自由で、息苦しい毎日が続くイメージを持っていたんだよね。

 

でもどこか諦めきれない自分がいて、例え大人になったとしても、好きなように自由に生きていきたいと、強く思い続けていたし、実際にそれが叶った時もあった。

 

そして現在38歳。

早ければそろそろ孫が産まれても良い年齢になった。

そして今でも自由を求め続けているし、むしろその気持ちはどんどん大きくなっている。

 

ただ自力で沢山のお金を稼げばいいわけじゃない。

十代のヤンキーが、仲間と集まってバイクを走らせたり、夜通しバカ話をしたり、時にはケンカして白黒つけるような毎日は、個人的にはとても素晴らしいと思う。

文字通りツッパッてる感は、まさに青春そのものだ。

そしてその社会人バージョンを実現させてる人もいるし、俺もそうなりたいと思ってる。

 

本当の自由を手に入れたければ、戦って勝つしかない。

戦わなければ勝てない。

青春するための戦いは、ずっと続いてる。

 

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