先日、とある金魚屋に行ってきた。
その金魚屋は、店主が金魚大好きで、
四苦八苦しながら経営をしてるようで、
かなり好感度が高いから行ってみた。
俺は金魚と金魚すくいが大好きで、
その店は金魚すくいもやってるから、
凄く楽しみにして出発した。
しかし実際に店に行ってみると、
自宅の一部を金魚屋にしただけの
普通の一軒家に見えた。
そして、金魚すくいっぽい桶が
店の前に置かれていたんだけど、
死体が5匹以上浮いていて、
中の金魚達もかなり弱っていた。
控えめに言って、死の水槽状態。
当日の気温は高く、
金魚が快適に過ごせるわけないのに、
外に放置してあるなんて、
金魚のことをないがしろにし過ぎ。
かなり衝撃を受けて、
落ち込んだまま帰路についた。
金魚すくいの金魚は、
選別から漏れたもの達で、
簡単に言うと落ちこぼれ集団。
雑種だからこそ可愛かったり、
変わった子がいて良いんだけど、
店側からしたらお荷物になる。
金魚屋ならまだいいんだけど、
夏祭りの金魚すくいで余った金魚は、
返品もできないし、飼うのも大変。
そのまま死んでくれても構わない。
そう思う気持ちも分からないわけじゃない。
綺麗事に聞こえるかもしれないけど、
それでも命には変わりない。
その命をないがしろにするなんて、
金魚屋を経営する資格なし。
商品にならないからといって、
命を粗末にするなんて許せない。
ただ、金魚屋としての商売は、
かなり難しいと思う。
金魚は安いから、
高くても1万円以下がほとんどで、
千円以下も珍しくない。
普通に計算したら、
金魚を売って生活していくのは、
想像しただけでもかなり難しい。
好きなことを仕事にするのは、
内容にもよるけど、難しいこと。
あの金魚屋の店主も、
最初は純粋に金魚が好きで、
夢の金魚屋を開店させたけど、
経営の苦しさが続くにつれ、
金魚がお金に見えてしまったのかも。
そして、お金にならないような金魚を、
ないがしろに扱うようになったのかも。
それは、金魚屋に限ったことじゃない。
手段と目的が入れ替わってしまうことは、
誰にでも、何でもありえること。
どこかで負けちゃうんだ。
苦しみとか悲しみとか不安によって。
命の大切さを学ぶと同時に、
起業を志す身として、
戒めを受けた気持ちにもなった。
無意識の内に、本当はやりたいことを、
お金にならないという理由で、
やめたこともあるかもしれない。
お金の為に大切なものを失ったり、
捨ててしまうこともあるかもしれない。
それがビジネスといえばそうかもしれない。
でも、そんなビジネスならしたくない。
命を粗末にしたり、
大切なものを見失うくらいなら、
起業なんてしたくない。
続く。