先日、野球の試合の撮影をしたんだけど、延長戦の末負けてしまい、ピッチャーが泣いて落ち込んでいる姿を目にした。
確かに最後打たれてしまったことは事実だけど、そこまで感情的になれて羨ましかった。
そこまで本気で試合に臨んで、今までも苦しい練習を続けてきたからこその涙だったと思う。
でも延長に入るまで1点も取れなかった攻撃陣や、延長戦で1点しか獲れなかったことも敗因なので、チーム全体の責任であることは言うまでもない。
それがスポーツの良いところであり、大きな魅力でもある。
涙を流す選手に寄り添う彼女や、慰める選手たちも素晴らしかった。
負けたけどとても良い光景を目にすることができた。
むしろ普通に勝ち進むより感動した。
大人になってからもあんな風に本気で打ち込めるなんて、ほとんどの人にはできないことだから。
そこで我が身を振り返ってみると、記憶にある限り悔し泣きをしたことなんてなくて、そこまで本気で何かに打ち込んだこともなかったかもしれない。
悔し涙は勝負に負けた時に流すことが多いけど、もう何年も勝負をしていない。
そしてこのまま夢を叶える為に突き進んだとしても、悔し涙を流すような場面は訪れないだろう。
夢といっても所詮はビジネス。
でも今回悔し泣きしている選手の姿を見て、本当の理想と今目指している夢の間にあるコントラストや、歪みみたいなものが垣間見えた。
俺が本当に目指すべきものは、こっちじゃないか?
制作活動は続けたいし、ビジネスを成功させて自由を手に入れて、更に良い作品を作り続けることは間違いじゃない。
でも大きな何かが欠けている気がする。
ただ楽しくて好きだからという理由で続けているだけでは届かない何か。
逆算して考えるなら、あの選手のように悔し泣きをする状況になるには、何をする必要がある?
それは本気の勝負をして負けること。
本気の勝負をすれば、勝って嬉し泣きすることもあるかもしれない。
それも目指したい状況なので、『本気の勝負』がキーワードになりそう。
そして本気の勝負をする為には、本気で練習や勉強に打ち込む必要がある。
受験勉強して合格して嬉し泣きをしたり、不合格で悔し泣きをする人もいるから、本気で打ち込む内容は何でもいいのかも。
それなら自分の場合は制作活動に本気で打ち込めばいい。
となると勝負の場があればいいのか。
ただ文章・動画・音楽・映像の制作の場合は勝負というより、コンテストとかに応募して入選したり採用されることが勝ちになる。
それで嬉し泣きや悔し泣きできるかな?
価値観の違いかもしれないけど、そこにそんなに気持ちを込められない気がする。
多分、審査員が判断する場が見えないし、冷静に判断されるから気持ちの要素が薄いんだろうね。
今まで全然考えたことなかったけど、制作活動の勝負の場って何だろう。
やっぱり大会かな?
しかしスポーツのようにリアルタイムで結果が変わるような勝負ではないしなー。
でもそれぞれの作品を公開して、どっちが良いか投票して、投票数が多い方が勝ち上がるトーナメントみたいなのは楽しそう。
AKB総選挙のようなスタイルだけど、確かあれもアイドルたちが悔し泣きしたり嬉し泣きしていたな。
そのクリエイターの作品バージョンみたいな感じで、どこかで大会とか開かれてないかな。
なければ自分が開催しちゃおうかな。
賞品をNFTのトロフィーみたいにすると今時で良いかも。
大会が大きくなって広まれば、初期のNFTトロフィーの価値も高まるし。
ウェブイベントになるけど、それなら楽しいし盛り上がりそうだし、本気の勝負にもなる。
まずはそういう大会をウェブで探してみて、なければ開催に向けて動こう。
悔し泣きや嬉し泣きをする機会を作ることは青春をデザインすることにもなるし、これは意外と今までになかったアイディア。
自分の実力を知る良い機会にもなるし、切磋琢磨する仲間やライバルができたりもするし、良いことだらけじゃないか!
ということで、実際にそういう大会やイベントがあるか分からないけど、どっちにしろ自分で開催することにした。
これから調査を進めて構想を深掘りして、形にしてみせる!
その大会自体がコンテンツにもなるし収益性もあるから、注力するべき挑戦になりそう。
あ、また収益の話になっちゃった!(笑)
もっと感情的に動かないとね☆