誰もが自由に生きたいとおもいながらも、自由について深く考え理解している人はどれくらいいるだろうか。
完全な自由はこの世にないけど、俺はできる限り自由に生きることで人生を充実させることができると信じている。
その為に好きなことを収益化してフリーランスとして独立したいと思っているけど、この考えも少し浅はかだったことに気づいた。
結論、どれくらい自由なのかを自由度と呼ぶなら、より自由度の高い生き方を段階的に選び続けていくことが重要。
少し分かりにくいだろうから、具体的に例を踏まえて説明していこう。
他人に対して、その人が自由か不自由かの判断は、個人の価値観や考え方によって変わる。
経済力を重視する人は、年収が多い人を自由な人と判断し、年収が低い人を不自由だと判断する。
自由に使える時間を重視する人は、暇な人を自由な人と判断し、忙しい人を不自由だと判断する。
一般論としては、ほとんどの人は家族を養っているお父さんを不自由だと思い、40歳を過ぎた独身サラリーマンを自由だと思う。
だから周りから見た自分がどう判断されるのかはどうでも良くて、自分の価値観で自由だと思える生き方を選べばいい。
俺の場合、自宅から一歩も出ることなくスマホやPCで仕事をこなし、自作コンテンツだけで十分な収益を得ている状態が理想だと思っていた。
でもそんな風にいくら自由に好きなことだけしていても、そんな日が何日も続いたら嫌になるしつまらなく感じる。
そこで誰かに会ってお喋りをしたくなるんだけど、コンテンツ制作も誰かとお喋りすることも、今すでに実現できている。
ただその頻度と時間配分が少ないので、「もっとコンテンツ制作をして誰かとお喋りしたいか?」と考えてみると、そうでもない。
状況や報酬にもよるけど、「これはこのくらいがちょうどいい」というボーダーラインがどこかにある。
いくらおいしいお寿司のネタでも、それだけ食べ続けるのは嫌だと思うのと同じ。
お金の稼ぎ方でも、会社に雇われて適当に働いて日給1万円稼ぐのと、ライターとして文字単価1円の仕事を受注して1万文字執筆するのとは、同じ1万円の収入でも前者の方が自由度は高い。というか楽。
会社も無数にあるし、フリーランスでも仕事内容や収入は千差万別。
一概に万人にとっての自由の定義は存在しない。
中にはむしろ管理されることで思考停止なることが自由だと思う人もいるからね。
そこで自分の中に芽生えた疑問は、「今と比べて独立後の方が本当に自由か?」という、大前提を疑う問いだった。
現在、会社で働きながらでもフリーランスとして活動できるし、節税もできるし有給休暇もあるし、年金も健康保険も会社に半分負担してもらえてる。
生活費を保証されているので、挑戦して失敗しても死ぬことはない。
だからこそお金の不安も小さく済む。
好きでやってる文章・動画・音楽・映像の制作はもちろん、魚の飼育や繁殖もできる。
最高のパートナーと良好な関係も築けているし、健康体で精神的にも技術的にも日々成長できている。
この状態って、実は凄く自由なんじゃないか?
更に今後は、同棲をすることで月3万円ほどの経済的な余裕を持つ道も選べるし、一念発起して大勝負に出る道も選べる。
そして収益にこだわらずに、好きなように好きなコンテンツ制作を進めることもできる。
これほどの自由があるだろうか。
今の俺は、フリーランスとして独立する道からは遠ざかってるのかもしれないけど、自由度が高い人生へと向かっている。
だからこれでいい。
捨てるって最高だな。