夢を追いかけたのは間違いだったかも
今更だけど、「夢なんか追わずに普通に働いて普通に生きていた方が、もしかしたら楽しくて幸せだったのかも」なんて思った。
そもそも夢って何?って感じだけどね。
フリーランスとして独立して、自由に好きなことをして生きていくことは最高だけど、俺にはハードルが高すぎたかも。
基本的にやりたいことはやれると思えるほどポジティブだし、根拠のない自信も持ち合わせてるけど、実際は自分は大した人間じゃないんだと思う。
ただ少し運がいいだけで、調子に乗り過ぎる時も多々あって、「器に合わない夢見すぎたかも」とか思った。
青春したい気持ちはずっと持ち続けているけど、具体的にそれが何なのかはずっと探しながら定まってない感じ。
でも何をするにも必要な影響力や発信力やお金を得るために、するべきことを選んで実行してきた。
しかしそんな行動を5年も続けてきて、それが原因で失うものもあったにもかかわらず、得られるものはほんのわずかだった。
そもそも自由な時間とお金を手にしたところで、幸せになれるとは限らない。
やってみないと分からないことだらけだけど、今更ながら選択を誤った感がとても強くなってきた。
中途半端さが招いた負のループ
でも普通に暮らしていくことには何の魅力も憧れも感じなくて、一番悪かったのは自分の中途半端な考え。
極端にどっちかに偏ることができず、夢を追いかけて挑戦したい気持ちが大きいんだけど、実際は「平穏で幸せな人生もいいな」って思ってる部分もある。
自分が生きてる環境や周りの人間たちの影響も大きくて、普通に幸せに生きていく道は、常に用意されている。
ただそれを自分が選ばなかっただけで、でも中途半端な覚悟しかなくて、死ぬ気で頑張るほどの行動なんてできてなかった。
つまり、「普通の幸せな生活」を捨てたにも関わらず、夢を叶えるための努力もしきれてなかったわけで、そりゃ中途半端な状況に陥るよねって話。
何かを得るためには何かを捨てなきゃいけないのに、色んなものを捨てられずに背負ったまま、重い足取りで前に進んできた。
運良くフリーランスとしての仕事も増えてきて、ここからが頑張り時でチャンスが溢れてると思いきや、実際はなぜか負のループに陥った。
それは、お金の余裕がないだけでなく、時間的な余裕も失ったから。
その時間的な余裕を奪ったのは、他でもない「普通の幸せを送る要素たち」だった。
自ら招いた辛くて苦しい日々
普通に楽しいことしたり、幸せな時間を過ごすことは素晴らしい。
平凡な人間には、平凡な人生がふさわしいのかもしれない。
自分の大切な人を傷つけたり苦しめたりしてまで、叶えるべき夢なんてあるのだろうか。
もしあったとしたら、それはとても悲しいことだよね。
今となっては高い志を声高々に発信してるけど、元はと言えばブラック企業での給料が安くて拘束時間が長すぎて、仕事内容がつまらなくて将来性もなかったから、そこから抜け出したいと思う気持ちが始まりだった。
でも今思えば、それは転職すればいいだけの話だし、副業で隙間時間にお金を稼ぐ何かをすれば良かっただけ。
今思えば短絡的すぎたし、浅はかだった。
わがままで自分勝手な性格だから、あれもこれも欲しがるし、叶えたいと思う。
でも中には絶対に両立できないこともある。
その両方をどうにか手に入れようと思えば、どこかで必ず不協和音が生まれる。
結果、辛くて苦しい毎日が訪れることになった。
努力していればいいわけじゃない。
結果を出せなければ、自分も大切な人も守れない。
中途半端な覚悟じゃ、状況は悪くなる一方だ。
進むにしろ諦めるにしろ、もっと真剣に覚悟を決めなきゃ。
じゃないと、そもそも夢を追う資格も語る資格もないんだから。