言いたいことも言えない息苦しさ
今はブログやSNSなどで、自分が言いたいことや思ってることを自由に好きなように発信できる時代。
でもだからといって、何でも言っていいわけじゃない。
人を傷つけたり他人の情報を暴露するのはダメなことだと、誰もが常識として認識してる。
でもたまに「え?これもダメなの?」って思うこともあるから難しい。
たとえば広告として有名な「グーグルアドセンス」では、水着画像の挿入が禁止されている。
水着画像といっても色々あるから、自分(男)がサーフィンしてる姿なら健全だと思いきや、規約違反だから載せられない。
禁止されてる理由はあるんだろうけど、全てのルールや規約を守った上では、自由に文章を書いたり情報を公開できないこともある。
言いたいことも言えないなんて息苦しい気もするけど、しょうがない部分もある。
それはネットでも現実でも同じだね。
ルールや規約の難しさ
何かを言ったり発信するだけじゃなく、行動にも色んなルールや規約による制限がある。
規約違反や法律違反をした後に「知りませんでした」では済まされないからタチが悪い。
実際にそれが原因で刑務所に入った人たちもいる。
俺は小説を執筆していて、将来的には書籍化や映画化もしていきたいけど、その時も色んな法律や規約が絡んでくる。
青春コミュニティの今後の活動も、法律的にはNGなことがあるかもしれない。
でも全ての法律や規約を熟知するのは、めんどくさいし難しい。
個人として何かしらのサービスを利用する時も、長ったらしい規約文が用意されているけど、ほとんどの人たちは何も読まずに「同意する」ボタンを押してるはず。
もちろんルールや規約は大事だけど、あんまりがんじがらめすぎても動けなくなる。
でもルールや規約が生まれた理由や必然性もあるから難しいところ。
善意やメリットがあってもダメなものはダメ
「やっちゃいけないこと」にも、善意と悪意がある。
悪意がある「やっちゃいけないこと」は絶対にダメだけど、善意でしたことがルール違反だともどかしい。
みんなが知りたい情報や知っていた方がいい情報でも、場合や場所によってはタブーになる。
誰も傷つかないし、むしろ多くの人にとってメリットが多くても、ダメなものはダメ。
善意から始まり価値提供やメリットに終わったとしても、ルール違反ならダメ。
くだらなすぎる。
自分と仲が良い人たちだけに知られるなら、大概のことは問題にならない。
でも他人や不特定多数の人に知られたら問題になりがち。
だからネットやSNSはリスクが高い。
今の世の中は、色んなことが制限されすぎてる。
「決まりは決まり」みたいな風潮が気に入らない。
人の心の温かさが感じられないんだよね。
機械じゃないんだからさ、人間らしく生きられなかったら嫌に決まってるじゃん!
自分が生きやすい世界を作れ
なんて言ったところで、何も変わらないんだけどね。
世界や他人を変えるよりも、自分が変わる方が早い。
だから人はルールや規約に縛られる。
本当の自由なんて、どこにもないのかもしれない。
でもルールや規約がないと、それはそれでみんなが好き放題しすぎて大きな問題になる。
それは高校生活で嫌というほど思い知った。
多分、普通に生きてるだけじゃ自由は手に入らない。
何が自由で何が不自由かは人によるけど、言いたいことを言ってやりたいことをやるためには、特別な何かが必要。
それは環境かもしれないし、実力や経済力かもしれない。
そういった特別な何かがないと、自由は手に入らない。
会社に勤めていても、自分で仕事をしていても、何かしらの制限やしがらみはある。
人はひとりでは生きていけないから、誰かと関わらなきゃいけない。
気遣いや思いやりだけじゃ成り立たないことばかりだから、ルールや規約が生まれる。
でも諦めても何も変わらない。
完全な自由は手に入らなくても、自分が生きやすい世界を作り出すことはできる。
そんな世界を目指して、これからも前に進むよ。