現代では様々な動画コンテンツが無数に溢れていて、無料もしくは安価で視聴することができる。
制作ソフトやデバイスも進化し続けているので、作り手側も無料もしくは安価で動画コンテンツを作れるようになった。
しかし希少性は価値なので、逆に無数に存在するものの価値は低くなる。
つまり現代において動画コンテンツは、もはや飽和状態と言えるだろう。
動画だけでなくスマホゲームやウェブ小説、音楽や文章も世の中に溢れていて、ひとつひとつのコンテンツを誰かに届けることは非常に難しい。
でもそのどれもが自分がメインとしている制作物なので、困った状況だ。
元々気づいてはいたけど、俺は厳しい戦いを強いられるジャンルで努力しているから、結果が伴わないのは当然かもしれない。
文章・動画・音楽・映像の制作を趣味として楽しむ方向にシフトして、ビジネスとしては別の何かで勝負するのもアリだと思う。
そこでは思い浮かんだのが、尊敬するキンコン西野さんの名言。
他人と競い合った時点で負け。自分だけの競技を作れ。
つまり他人と同じことをしていてはいけない。
自分にしかできないことをしたり、自分にしか作れないものを作ること。
そうすれば他人と競わずに戦える状況を作り出せる。
それは文章・動画・音楽・映像のコンテンツにおいて、自分の個性を発揮して差別化することで実現できるのかもしれない。
更にそれら全てを結集させてひとつのコンテンツを作るとしたらどうだろう。
つまりメタバースという仮想空間を作り出すことで自分が想い描いた別世界を具現化し、他者と差別化しつつ様々なコンテンツを提供できれば、凄く楽しそうだし無限の可能性が広がっているかも。
プラットフォーマーとして大々的にビジネスを展開させるのではなく、あくまで仮想空間に自分の世界を作り出し、その中でコミュニティを形成していく感じ。
生身の人間のアバターもいれば、無機質に生み出されたAIなどによる自律的なキャラクターもいる世界って、何だかワクワクする。
喋れる金魚、空飛ぶ人間、ゲレンデのふもとにある海、性別変更、年齢操作など、そこには限りない自由がある。
人間性によって自動的に所属する世界が決まるシステムも良さそう。
悪者は悪者しかいない世界で、善人は善人しかいない世界で生きていければ、自分らしく心地良い時間を過ごせる人も増えるだろう。
そんな世界にスマホひとつで辿り着けるなら、もしかしたら仮想が現実を超えるかもしれない。
これが今の俺が思い描いている、ざっくりとしたメタバース構想だ。
そこには無駄な移動もなく、嫌な人間との強制的な関わりもなく、仕事もお金も必要ない。
ただ好きなことをしたり遊んでいればいい。
まさに新世界と呼べる場所が、現代のテクノロジーで実現可能になった。
その反面、現実世界は廃れてしまう部分もあると思うけど、それはどっちみち変えられない。
個人的なライフスタイルとしては、メタバース関連の制作で生活できるだけの収益を得られれば、現実世界では睡眠・食事・排泄などの生物として必要なことをこなしつつ、制作に没頭するルーティーンも悪くないと思う。
現実世界に存在する動物園や水族館などは、メタバース内で現実世界以上のクオリティで再現できる。
人間の目の最大の解像度を超える映像も作れるようになるから、現実の魚と同等かそれ以上の美しい魚をデジタルで再現できる。
半裸に危険な動物でも、絶対に襲ってこない設定にしておけば、触れ合って遊ぶこともノーリスクで実現できる。
「それは触れているとは言えない」と思う人もいるかもしれないけど、皮膚感覚などの触感を再現するテクノロジーの開発も進んでいるので、そのあたりも設定できるようになるかもしれない。
なかなか楽しそうな未来がイメージできた。
この構想の実現もかなり難しいけど、楽しみながら成長できることは間違いないから、色々頑張りながら進んで行こう。