「物語」の見つけ方【たちばなやすひと著】を読んで気づいた本当の想い

またしても良書に巡り会えたことで、最近の俺は更なる発見を経て成長し続けている。

今読んでる本は、全裸監督のプロデューサーであるたちばなやすひとさんが書かれた『「物語」の見つけ方』という本。

まだ読んでる途中だけど、大きな気づきがあったのでブログに書き出してみることにした。

 

まず今までの俺は、世界一青春したいと思っていたし、それが一番大きな夢だった。

そして目の前の大きな目標として『好きなことで独立する』というスローガンを掲げていた。

 

その好きなこととは、具体的には文章・動画・音楽・映像の制作やスマホアプリ開発。

つまりクリエイティブな作品作りだった。

 

それ自体には何も問題なかったけど、クリエイティブな作品作りを続けてお金を稼ぐだけの日々を想像してみても、全くワクワクしないし惹かれなかった。

だからこそコミュニティ形成やオンラインスクールの開校といった『その先の構想』を思い描くことで何とか道を見出したけど、それでもどこかモヤモヤしてた。

つまり夢や大きな目標として描いていた未来は、自分が本当に望むものではなかった。

 

今のライフスタイルが充実していて満足してるっていうのもあるけど、好きなことを自由に楽しむ毎日が理想の未来じゃないという事実は、凄く意外だったから驚いた。

そもそも望んでいない夢を設定していたのか、自分が成長したから夢が変わったのかは分からないけど、違うものは違うからしょうがない。

 

じゃあ今の自分には夢や大きな目標がないのかと考えると、それもまた違う気がする。

ということは、夢や大きな目標は自分の中に確かにあるのに、気づけていないということになる。

 

そこで本書『「物語」の見つけ方』を読んだところ、人のストーリーには大きく分けて3つの型があると書いてあった。

全てに共通する部分もあるけど、それぞれの型の特徴をザックリ説明すると、以下の通りになる。

 

【主体+目的型】※主体=自分
自分自身が叶えたい夢や目標に向かって努力していくタイプ。

【主体+客体の目的型】※客体=関わる相手
自分が関わる人の目的を達成する為に努力するタイプ。

【主体+障害型】
障害を乗り越える為に努力するタイプ。

 

今まで自分は【主体+目的型】だと思っていたし、何なら今でもそうだと思ってるけど、一人でクリエイティブな制作活動を続けて富と名声を得る未来にワクワクしないから、やっぱり違うんだと思う。

ドラマや映画を見ても、そういったサクセスストーリー的な話には惹かれないし、過去の経験を振り返っても、個人で何か成果を出してもあんまり嬉しくなかった。

 

【主体+障害】については論外で、「今みたいな毎日が続いてもいい」と思ってる自分にとってはむしろ真逆。

ということは、消去法からいっても【主体+客体の目的型】になる。

 

これは凄く意外だったけど、自分がドラマや映画で感動するシーンは、大体これに当てはまる。

人生のお手本でもあるウォーターボーイズでも、何かを達成するシーンより仲間を救ったり支えるシーンや、誰かの為に尽力するシーンに感動する。

過去の経験を思い返しても、強く記憶に残っているのは誰かを助けたり誰かに助けられた内容が多い。

意外かもしれないけど、学生時代はハブられてる子を助けたりしてたよ(笑)。

 

ちなみに本名である俊輔の名の由来は、人より優れた才能や実力を持つという意味の「俊」に、人に尽くしたり人を支えるという意味の「輔」が合わさったよくある名前。

つまり「優れた力を他者の為に使う人になりなさい」という想いが込められている。

「だからそうなる」なんて思わないけど、子供の名前にそういう想いを込める親の元に生まれ、育ててもらったことは確かだ。

 

更に性格は遺伝的要素も強く出る。

よくよく思い返してみると、なるほど確かに親も兄妹もそういう人間性だった。

 

そんなこんなで、起業を志してから7年以上経ってようやく気づけた。

俺は多分、誰かを救いたいという気持ちを強く抱いている。

それは34歳の若さで天国へ旅立った親友、貴ちゃんの影響もある。

 

一番仲の良い親友が、経済苦などが原因で鬱になり、自殺してしまった事実が心にずっと突き刺さっている。

だから俺は二人分生きなきゃいけないし、二人分頑張らないといけない。

 

それに今の絶望的な日本においては、貴ちゃんと同じような状況の人が増え続けていると予測している。

我が事業LeapRium(リープリウム)のコンセプトは『みんなが青春できる世界を創る』だけど、前向きな意味とは裏腹に、青春できてない人を救いたいという願いも込められている。

青春できていれば誰も鬱にはならないし、落ち込んだ時に救ってくれる存在は、誰にでも必要だから。

 

あとかなり難しいけど、障害者も青春できるような何かを創りたいとも思う。

みんなが青春できる世界を創りたいなら、青春したくてもできない代表格は障害者だと思うから。

 

そんなことを考えてると、内なる心が「完全に正解!」って言ってるような心地良い気分になった。

 

これを本書でいう【主体+客体の目的型】になぞって物語化するなら、観客からの期待は『果たしてしゅん茶は、みんなが青春できる世界を実現できるだろうか』になる。

前と同じコンセプトなのに、理由や想いによって全然違う言葉に聞こえるのが不思議。これが物語の力かも?

でもこんな時代だからこそ、そういう人が必要かもしれない。

 

あなたの物語は何ですか?

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