人は他人の不幸話が好き
YouTuber歴が2年以上になり、800本以上の動画の数字や反応を見てきて分かったのは、多くの人たちは他人の幸せ話より不幸話の方が好きということ。
例えば「YouTuberになって良かったこと」という動画より、「YouTuberになって嫌な思いをしたこと」の方が数字が高まりやすいし、コメントも増えやすい傾向がある。
その裏側には色んな要因があると思うけど、他人が幸せそうにしている姿を見るより、他人の不幸が面白いと思う人間が多いことは事実。
YouTubeの評価ボタンも、日本人は低評価を押す人が多いという公式データがあるので、特に日本人は、表面上を取り繕うのは上手だけど、腹黒で性根が悪い人が多いんだろうな。
だからこそいつの時代もゴシップ系の記事は人気だし、芸能人の不祥事は連日メディアで流されている。
そしてそういう性質の人間は、揃いも揃ってろくでもない奴らばかり。
それは別にいいんだけど、情報発信者としても、コンテンツクリエイターとしても、この大衆の心理をうまく利用していきたいと思った。
嫌いなタイプの人間だからこそ、うまく利用してあげないとね☆
どんな話をするにしても、大事なのは伝え方
他人の不幸話が好きという大衆を、どんな目的や方向に流していこうかな。
目的は複数あってもいいと思うけど、今回は分かりやすく、「より多くの人たちに興味を持ってもらう」という目的に絞って考えてみよう。
他人の不幸話が好きという心理を利用するからには、制作するコンテンツは、成功や幸福という内容より、失敗や不幸に関する内容が良いということになる。
その場合とても難しいのが、人は誰しも成功や幸福を得るために日々頑張っているので、その逆の結果にはなりにくいこと。
そして失敗や不幸話は、伝え方を間違えると信用失墜に繋がるので、注意が必要。
例えば「金魚関連の出費額が、年間50万円だった」という動画を作った場合、「そんなに好きなんだねw」と微笑ましく解釈する人もいれば、「こいつ頭悪すぎだろw」と解釈する人もいる。
俺がただの個人であれば、どっちの解釈をされても構わないんだけど、フリーランスとしてクライアントワークを受注する身としては、後者の判断をされた場合、機会損失になりかねない。
これは見る側の解釈というより、発信者としての伝え方が大事。
さっきの例え話で言うなら、朗らかに微笑ましく、楽しそうに話すと良さそう。
なので例え幸せ話だったとしても、けして自慢話にせず、いい感じの笑い話に転換できるといいね。
同じ内容の話でも、伝え方で全然違ってくるから。
不幸話をする場合でも、あまり落ち込みすぎて暗くなっていると、いくら不幸話が好きな人でも面白くないかも。
だとすれば一番いいのは、無理な挑戦をして大変な状況に陥ることかな。
それなら「この先も見たい」と思ってくれる人も増えるだろうし、青春度も高まるからいいね☆
挑戦をして青春していればいい
そんなことを考えていたら、「そもそも今の自分は幸せなのか?それとも不幸なのか?」という疑問に行き着いた。
もちろんそんなものは、判断する人の価値観や感情や状況によって変わるんだろうけど、自分が第三者として今の自分を見た場合、どう思うだろう。
多分、「38歳で貧乏で無謀な夢を追いかけてる不幸な中年男性」って判断すると思うw
何か、悲壮感のようなものを感じるw
そう思う原因は、大した成果を出せていないから。
頑張っていてそれなりの収益を稼いでいたら、「楽しみながら前に進んでて凄い!」って思うんだろうな。
何事も結果を出すことが大事。
世間が他人の不幸話が好きだからといって、不幸な人生を送ろうとは思わないので、ここは何とか好転させていきたい。
そのためにも、現状を素直に伝えつつ、誰から見ても前に進んでいると思われる状況にしたい。
そもそも厳しい状況下で何とか前に進もうとする姿は、不幸に見えたり面白く思えたりするので、もっと大きな挑戦をしてみようかな。
失敗しても成長できるし、見てる側も面白いし、成功すれば夢の実現に近づけるので、やらない理由はない。
あまり深く考えすぎずに、青春していればいいのかも。
というわけでまとめると、どんな話でも面白いと思ってもらえる伝え方を意識して、挑戦しながら青春していく姿を見せていけばいいね☆
これからも他人の目はあまり気にせず、自分に集中して頑張っていこう!