文章の種類と人それぞれの好み
俺は文章を書くことが好きだけど、文章にも色々ある。
業務的なマニュアル作成や対策文、SEOライティングや構成の作成、スピーチの台本や手紙、ブログや小説など、それぞれの特徴や分野がある。
文章が好きとか得意といっても、どれが好きでどれが得意かも人それぞれ。
俺はブログや小説には自信あるけど、業務的なマニュアル作成や対策文は苦手だし何の情熱も持てない。
でも逆にブログや小説は苦手だけど、業務的なマニュアル作成や対策文が得意な人もいる。
それはスポーツと似てるのかも。
サッカーが得意でも、卓球が得意とは限らない的な。
でもスポーツという同じジャンルではあるよね。
もちろん、経験を積めば実力は高まるけど、センスや向き不向きもある。
やる気があるないもあるし、好みもある。
できれば自分が好きで得意な文章を書き続けていきたいな。
心に響く文章の方が評価されずお金にならない現実
ネット検索やSEO、マニュアル作成や台本にはある程度の決まりごとがあって、そのコツを掴めば内容が違っても流用できる。
それがスキルであり、お金に換わる大事な仕事になる。
でもツイッターを見てると、そんなマニュアルなんて全く流用せずに心に響く文章を書き綴ってる人たちがいる。
その人たちは、自分の想いや考えや経験を、素直に文章で表現している。
俺は、そんな文章を書くのも読むのも大好き。
でもスキルとして重宝されたり、お金に換わりやすいのはそういう文章じゃない。
どこかで読んだことのある文章、人間味のない無機質な説明、思ってもないことをそれらしく取り繕った内容が、世の中の表舞台にはびこっている。
内容の真偽は定かじゃないし、ただアクセス数を増やす目的で書かれた文章も山ほどある。
俺はそこに強い反発心を抱いてる。
それはスーパーで売られている量産品の方が、母親の手料理より高いのと似てる。
明らかに母親の手料理の方がおいしくて特別でも、スーパーの量産品の方が価格が高くて仕事になってる感じ。
嫌いな考え方と好きな文章
ブログを書く時も、収益を伸ばしたかったら検索数の多いキーワードを選んで、稼ぎやすい広告向けの内容を書くといい。
あとは検索結果のボリュームを調べたりして、どのキーワードをどれくらい盛り込むのか決める。
内部リンクを張り巡らせたり、効果的な広告の配置を決めたりする。
それって何ため?お金のためだ。
お金を稼ぐための努力と工夫。
だからくだらないし、やる気が出ない。
俺は自分の文章で100万円稼ぐより、たったひとりに感動の涙を流してほしい。
絶望してる人が俺の文章を読んで、少しでも希望を持ってほしい。
そういう文章が好きだし書きたいから、もっと実力を高めて感性を磨いていきたい。
それが俺の意地であり誇りでもある。
悔しさと怒りを起爆剤にして上を目指す!
最近は自分の実力とは別の、世の中の仕組みとか考え方という壁にぶつかってる。
自分の夢や理想を考えると、どうしても現実や世の中と衝突する部分がある。
それは当たり前のことで、誰が悪いとかでもなくて、自分が頑張らなきゃいけないことでもある。
でもそんな現実は息苦しくて、もっと自分の好きなことや得意なことをして生きていけたらいいなって思う。
あー好きな文章だけ書いて生きていきたいなー!
SEOや広告収入に頼るんじゃなくて、純粋なファンや共感してくれる人たちを増やして、収益を得たい!
お役立ち情報とかじゃなくて、単純に良い文章だからって理由で人気高まらないかなー?
そこまでの実力はまだないか?
そんな感じで、悔しい気持ちと怒りの感情が高まってる。
それを誰かにぶつけるんじゃなくて、自分自身の起爆剤として活用する!
文章力も知名度も、もっと上を目指してやる!
絶対に!絶対にだ!!