青春と好きなこと
俺は「自由に好きなことを楽しみながら生きていきたい」と思ってるけど、「それは本当に青春か?」という疑念を抱いている。
好きなことは人それぞれ違うし、本人の自由だから、色んな好きなことがあるけど、俺の場合は好きなことを仕事にしたいと思ってる。
つまり、のんびりまったり暮らしたいとか、遊びまくりたいとか、好きな物を買いまくりたいとかではなく、割と真面目な理由で夢を実現させたい。
それは人生を懸けて青春したいからこそなんだけど、「そもそも青春って何だっけ?」という原点について、ふと考えてみた。
例えば大好きな金魚を飼育しながら、大好きな動画制作を続けて月収30万円稼げるようになったとして、それは果たして青春と呼べるのだろうか。
少なくとも、周りから見たら青春度はかなり低いと思う。
ということは、好きなことを楽しみながら生きていくことは、もしかしたら青春することとは違うのかもしれない。
ウォーターボーイズの青春を分析してみる
こういう時は、青春のお手本でもあるウォーターボーイズを思い出して参考にしてみる。
彼らはシンクロを楽しみながら、仲間と最高の思い出を作るために努力を積み重ねていた。
でもただ練習を続けていただけではなく、周りの人たちに協力してもらいながらいくつもの困難を乗り越え、少しずつ目標達成に近づいていった。
それは周りから見たら、単なる部活動の1つだったかもしれないけど、本人たちにとっては高校生活最後の夏という、大切な時間を捧げて挑んだ戦いでもあった。
シンクロ公演の実現は、結果ではなく過程にこそ本当の価値があり、仲間と一緒に成長していくことが一番の青春だった。
そしてその過程は、「好きなことを自由に楽しむ」とは似て非なるもの。
結果的に楽しかったかもしれないけど、それは辛いことや大変なことを乗り越えたからこそだった。
それこそが、今の俺が青春してる感を感じられない理由なのかもしれない。
収益性を捨ててでも青春することを最優先に生きる
自力で生活できるだけのお金を稼げるようになったところで、自由に好きなことを楽しめるようになったところで、俺は今より青春できるのか?
むしろ今、お金を稼ぐために仕方なく我慢して会社で働いて、プライベートな時間を使って少しずつ前進してる方が、よっぽど青春できてるのかもしれない。
今青春できているのに、青春できてる感がないのは、目指してるところが違うからかもしれない。
みんなに認められるためには、結果を出すしかない。
でも結果ばかり追い求めたり、数字を高めることばかり考えるのは、俺の理想じゃない。
ウォーターボーイズだって、学校の授業を受けながら、放課後や休日にシンクロの練習をしていた。
じゃあ俺もそれでいいんじゃないか。
会社で働きながら生活費を確保して、それ以外の時間を有効活用して、もがいてあがいて努力を積み重ねながら、少しずつ成長しながら前に進む。
その「今」に全力を出せているか?
出せてないなら、出せばいい。
収益を高めることよりも、青春することの方がずっと大事。
これはかなり思い切った決断になるけど、収益性を追い求めず、青春を追い求める原点回帰にシフトしてみよう。
理屈で考えたら間違ってるように思えるけど、心はワクワクしてる。
きっとそれが答えだ。