自由な身の朝
2018年12月3日(月)
今日は珍しく朝7時半に起きた。
窓の外からは
絶えず車の走行音が聞こえてくる。
通勤ラッシュの時間帯に
ゆったり目覚めるなんて、
我ながら自由過ぎる気もする。
ブラック企業の社員時代
会社員だった頃は、
朝6時半に目覚ましで起きて、
布団にくるまりながら
朝食のパンをほおばり、
歯磨きをして7時に家を出発。
車で10分かけて会社に向かっていた。
会社に到着してから、
30分間はスマホタイム。
連絡を取ったりSNSをチェック。
ブログを書く時もある。
思考停止難民の末路
この会社の就業時間は8時〜17時。
でも現場作業者はなぜか、
7時半から機械の準備をさせられている。
もちろん給料は発生していない。
毎日30分間はタダ働きだ。
よくもまぁ、文句のひとつも言わず、
会社のいいなりになってるなぁと思う。
手取りの給料なんて、
30代にもなって13万~16万円程度。
ボーナスは年2回だが、
10万円以下の人も珍しくない。
(※俺は16~18万円程度だった)
昇給も退職金もなく、
有休もなかなか使わせてもらえない。
それでも彼らは、
会社がなくなるか定年になるまで、
この会社で働き続けるだろう。
思考停止の人生終わった奴らに、
明るい未来などないと思った。
俺は管理者だったから、
普通に8時から仕事していたが、
7時55分からラジオ体操が始まる為、
実質的には7時50分までに
事務所に行く必要があった。
てか今時ラジオ体操てw
戦後まもなくの超前時代的な風習に、
つい吹き出してしまう。
長過ぎる労働時間
定時は17時だけど、俺は17時以降しか
できない仕事を任されていたので、
終業時間は早くて20時、遅くて22時。
正社員は長時間労働が当たり前の日本では、
珍しいことじゃない。
残業代はキッチリもらえていた。
ただ我慢ならなかったのは、
あまりに下らない前時代的な
古い仕事だったことと、
年間休日が93日しかなかったこと。
土曜日も約6割は出勤日。
とにかく出勤日数が多い。
残業すれば手取りの給料は
20万円〜25万円だったが、
時給計算すれば1000以下。
これをブラック企業と呼ぶ人も多い。
そんな会社で7年間、働き続けた。
退職までの流れ
起業を志してからの3年間は、
無駄な時間を過ごしたとも思った。
今でもあの頃を思い返すと、
なぜあんな所に7年も働き続けたのか、
悔恨の思いが心をよどませる。
結局お金も貯まらず、
このままじゃ何も変わらないと思い、
何の準備も計画もないまま、
気持ちだけで退職した。
退職届けは2017年の12月に提出したが、
実際に退職できたのは2018年の6月初頭。
何と半年もの間、退職できなかった。
責任感を持っていたせいで、
見捨てることができなかったことが原因。
そこにもブラック企業の横暴さが現れてる。
求人募集の内容が悪いから、
全然応募がなかったことも
退職時期が遅れた原因だが、
そのまま求人募集の内容を
改善しないところが終わってる。
引き継ぎは完璧とは程遠かったが、
結局最終的に俺は、
見捨てるように会社を去った。
無計画な借金生活
その後の計画なんて何もなくて、
勝算も戦略もなかった。
とりあえずのんびりしようと思い、
自由に好きなことをして過ごした。
金も人脈も実力もない35歳の男が、
起業して成功する夢を叶えようとしてる。
しかし現実は甘くなく、
全財産を失い借金生活に陥っても尚、
起業は遥か遠い場所にあった。
そして2018年12月現在も、
効果的な計画や戦略はなく、
勉強や情報発信を続けてはいるが、
これといった活路を見出せないでいる。
諦めておとなしく再就職すればいいものの、
そうしたら退職した意味もなくなりそうで、
前にも進まず後ろにも下がれない。
とにかく今は、お金を生むコンテンツを
作ることが急務だった。
もしくはフリーランスとして、
在宅ワークなどで仕事を受注して、
収益を得る方法もある。
お金を借りる方法は、
まだ他にも残されてはいたが、
カードの借金可能額が上限に達した今、
何かをしてお金を稼がなきゃいけない。
こんな状況から、まともにお金を稼いで、
理想の未来に辿り着けるだろうか。
そんな不安と迷いを抱えながら、
今日もわずかに前進する脱サラ中年男性。
今後どうなっていくかは、
引き続きブログをご覧下さい。