他人だからこそ

夜の街が好き。

色んな人達が集まって、交わり合う場所と時間。

そんな、ちょっぴり危険で怪しい雰囲気が好き。

高校生の時に、ろくにお金も持ってないのにうろついて、
大人の世界観に触れた時のことを思い出す。

当時の自分にはまだ早すぎる世界だったけど、
いつかこの世界に浸りたいと思っていたっけ。

 

もうしばらく、誰にも愛されてないって思ってた。

例え愛されても、あなたじゃないって思ってしまう。

でも愛してもらえないと、
「何で愛してくれないの?」って、すねるんだ。

まるで子供だね。

そんなんじゃ、一緒にいる人は疲れる。

 

恋人でもなく、友達でもなく、家族でもない他人だからこそ、
満たせるものがあるって気づいた。

それは新鮮さや新しい刺激や影響、そしてときめき。

受け入れてもらえるかどうか分からない相手に、
受け入れてもらえる暖さ、ぬくもり。

それは心を癒し、満たしていく。

俺が本当に求めていたのは、きっとこれだったんだ。

 

多くの人達は、自分のことが一番大切なんだ。

だから都合良く愛されたいって願う。

でも苦しみたくないから、自分が誰かを愛することには抵抗がある。

自分は安全な場所にいたいと思う。苦痛を避ける為に。

愛されてないと思うと、愛がもっと欲しいって思うし、
愛されたら愛されたらで、それが当然だって思いながら安心する。

 

異性に限りの話だけど、
凄く近くでお互いを認識することで、一種の緊張感を持つ。

それがとても心地良い。

どんどん近づいていって、これ以上はやめとこって引いたら、
相手が近づいてきてくれて、満たされる。

同じ行為でも、どんな気持ちでしてくれたかによって、
心が満たされるか満たされないかが決まる。

それは喜びと悲しみ、幸せと不幸の分かれ道。

 

他人だからこそ、触れ合う喜びがある。

キスもHも、それ自体をしたいってよりも、
自分を受け入れてくれるかどうかが重要なんだ。

義務的に、惰性としてのキスは何も感じないけど。

自分のことを想って「大丈夫だよ」って言ってくれてるような、
そんなほんの少しの愛情を持ってキスしてくれるのは、
とても愛おしくて、幸せな感覚。

その人自体にはさほど興味がないのに、触れたいと思うのは、
自分を受け入れて欲しいから。愛されたいから。

それは身近な人じゃなくて、他人だからこそできること。

そういう愛の形もある。

指先が頬をなでたり、どっか向いてる時にキスされたり。

ぐっと引き寄せて、抱きしめて、
心臓の鼓動を聞くように耳をあてて、
腕でもっと引き寄せて、回し合って抱きしめ合う。

相手は「どうしたの?何かあったの?」って思ったかも。
自分は「ずっとこのままでいられたらいいのに」って思ったかも。

でもそれは、別にその人じゃなくてもいいんだ。

誰でもいいんだ。ある程度以上、恋愛対象になる相手なら。

きっと皆、心のどこかに孤独を抱いて、隠してる。

結婚してても恋人がいても他人を求めるのは、
多分もしかしたら、それが本当の理由。

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