「好きなことを自由に楽しみながら生きていく」という夢は通過点に過ぎない

俺には色んな夢があって、その中でも今一番強い気持ちで挑んでいるのは、好きなことを自由に楽しみながら生きていくこと。

そのためには好きなことを収益化しつつ、それだけで生活していけるだけの収入を得る必要がある。

 

でもこの夢は自分主義で、周りや世界にとっては超どうでもいいこと。

本当は、世のため人のためみたいな夢があれば対外的には良いんだろうけど、あいにく他人はどうでもいいと思っているので、正直そんな夢は全く思いつかない。

 

しかしそこでふと思った。

「じゃあ俺の夢は、好きなことを自由に楽しみながら生きていけるようになったら、それで終わりなのか?」と。

 

俺の夢はそんなに大きくはないし、ある程度以上の才能と行動力があれば実現できるレベルの話。

もちろん、したくない仕事から解放されて、自由な時間を他の仕事に投資して、更に収益を伸ばすこともできるけど、自由に好きなことを楽しみながら生きているなら、多分そんなに頑張らないと思う。

 

ということで、確実な成功者としての日々を妄想してみたけど、やっぱり全然楽しくなかった。

逆境に立ち向かっていないと夢追い人としての青春はできないので、安心・安定の日々は今の生活よりも断然つまらない。

知名度や影響力が高まれば、自然と挑戦もうまくいくし、収益も高まるので、そんなイージーモードなんてむしろ避けたい。

 

これはちょっとしたジレンマで、好きなことで多くの収益を稼ぎたいと思いつつも、それが実現できたら「したくない成功」になってしまうという結果になる。

これは多分、周りから見てもつまらない結末だと思う。

物語としては、ハッピーエンドでクリアみたいな感じになるので、「はい、おしまい」になってしまう。

 

ただ、これらは今現在の想像に過ぎないし、実際に成功した時は、今と全然違う状況や環境になっているはずだけど、望まない結末に向かってるのは腑に落ちない。

なので「好きなことを自由に楽しみながら生きていく」という夢をゴールにしてしまうと、わがままかもしれないけど、やる気が出ないんだよね。

 

じゃあどうすればいいのかというと、「好きなことを自由に楽しみながら生きていく」という夢を通過点にして、その先の更に大きな夢を思い描けばいい。

「自由になった後に何をするか」をあらかじめ想定しておくことで、これからの活動内容もより良くなっていくはず。

世のため人のために何かしたいと思わないなら、結果的に副産物としてそうなる夢でも良い。

 

色々考えてみたけど、それはやっぱり作品作りの拡大になると思う。

小説をゲーム化したり、自分が作った音楽のライブイベントとかね。

 

なので、「好きなことを自由に楽しみながら生きていく」は通過点に過ぎず、自由になった後もより規模が大きい挑戦をしていこう。

いずれは世界を狙うのも良いね。

そこまで行くとなると、かなり途方もない夢になる。

 

でも夢は、それくらい大きくて不可能なレベルでちょうど良いのかもしれない。

できなそうなことだからこそ、何とかしようと足掻くわけだし、ワクワクするからやってみたい。

そうすれば青春は終わらないし、生きた証も遺るし、きっと最高に幸せな人生になるよね☆

 

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