【無我の境地】好きなことに没頭することこそが最高の幸せ

何をするにしても自分の性格や能力だけでなく、その時の感情や状況によっても結果は変わる。

同じ人間でも、幸せな時と怒ってる時とでは、全く別人のように感じることも珍しくない。

人間は感情の生き物である。

 

俺自身、最高に良い感情に浸れるのは、金魚を繁殖させて稚魚を育ててる時と、音楽を聴いたり作ったりしてる時。

今はできればこの2つに関することだけしていたい。

 

そして「なぜこの2つがそんなに好きなのか」と聞かれれば、それだけでブログ1本埋まってしまうので、ここでは割愛。

でも「この2つに共通することは何か」と考えた時に、新しい答えというか仮説が思い浮かんだので、今回はそれについて書き綴っていく。

 

結論から言うと、その理由は「没頭できるから」。

金魚を繁殖させる時は、頭で考えたり情報を仕入れることもあるけど、金魚の気持ちになって何をするか決めている。

採卵後にカビた卵を除去する時も、有精卵にカビが侵食するのを助けてる感覚。

鬼滅の刃みたいに刀を振り回して、敵をやっつけてる感じ。

 

音楽を聴いてる時は、参考にしたい部分を探す時もあるし、何も考えずにリラックスして聴いてる時もある。

作曲中も、音楽理論を駆使する時もあるけど、感覚的に「これいいね」とか思いながら音を探してる時が多い。

 

そんな風に何かに没頭してる時間は心地良い。

余分なことを一切考えずに、生命や芸術に触れ合えるのはとても幸せなこと。

 

それを更に深掘りして考えると、あるひとつの仮説が思い浮かんだ。

それは少し大げさだけど、『無我の境地』こそが最高の状態ということ。

 

そういう本の要約動画を見たからっていうのもあるけど、自分がまるでそこにいないような感覚こそが、本来の自分に最も近いかもしれない。

そしてそれは、俺にとっては金魚の繁殖と稚魚の育成、音楽制作だったりする。

 

でも無我の境地と言っても、そこに感情がないわけじゃない。

むしろ「まるでそこに自分が存在しないかのような感覚」は、感情しかないのかもしれない。

そこにある想いが純粋すぎて、他のことがどうでもよくなるのかもしれない。

 

俺たちは常日頃から、割とどうでもいいことにお金や時間を使ったり、奪われたりしてる。

自分自身の思考や感情も含めて、邪魔なものや余計なものが多すぎるんだ。

だからこそ、無我の境地に至るのが難しくなる。

 

でも一人の時間や自分自身と向き合う時間がとても大事ということは、みんな分かってると思う。

だからお金と時間の使い道を真剣に考えたり、人間関係を洗練させたり、不要なものを捨てることも大事。

俺がとにかく好きなことを重視して優先させているのは、これらの理由に繋がっている。

そして無我の境地に至った人が作り出す作品は、きっと素晴らしいものになる。

 

という感じで、珍しく仏教っぽい話をしたけど、クリエイターやアーティストとしてレベルアップした感がある。

実際に本を熟読して、更なる成長に繋げてみよう。

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