普通の人生を送る普通の人たちに流されたくない

ふと思ったんだけど、今まで関わってきた人たちや今周りにいる人たちは、みんな普通の生活を送り普通の人生を生きているのに、何で俺だけサバイバルチックな生活と人生を望んでるんだろう。

普通は周りの人たちや環境の影響を大きく受けて、同じようなライフスタイルや価値観に染まっていくのに、なぜ自分だけ突然変異したガン細胞のように違うんだろう。

 

6年以上も付き合い、一緒に暮らしているパートナーのなおみんでさえも、平日は会社で働いて帰宅後は家事などをこなし、週末は家事もしながらお出かけしたりDVDを観たりして羽を伸ばしている。

まさに普通を絵に描いたような生活だ。

 

しかもそんな普通の人たちに共通しているのは、普通の人生を送ることに何も疑問を抱いてないにも関わらず、不満や不安はそれなりに抱えていること。

俺からしたら不満や不安があるならそれを解消する為に考えたり調べたりして行動するべきだと思うけど、どうやら普通の人たちはみんな同じだからそれでいいらしい。

もしくは動きたくても動けないのか。

多分、何だかんだ言って現状に満足していたり、リスクを負いたくないだけだと思うけど。

 

でもだからと言って普通の人たちや普通の人生が悪いわけでもないし、否定するつもりもない。

ただ自分は何で『普通』に染まらないのか、普通でいたくないのかが疑問なだけ。

 

そこで気づいたんだけど、人が好きなのに人とあまり関わりたがらない理由は、普通の人たちに流されたくないからだと思う。

人は面白いし人と関わることでしか得られないものが沢山あるんだけど、その普通的なものを自分の中に含ませたくない気がする。

犬や猫が好きだけど、犬や猫になりたいとは思わないような感じ。

人と関わるお金と時間があるなら、制作や活動にコストを使いたいのもあるけど。

 

現に普通のライフスタイルを望んで生きてるなおみんと同棲していると、どうしても普通の行動やスケジュールになりがち。

それはそれで良いリフレッシュにもなるけど、制作や活動を進める上では弊害になったり衝突の原因になる可能性も大いにある。

そこは上手に折り合いをつけていきたいけど、とにかく俺は普通の人生を送るのは絶対に嫌だ。

 

それは普通の人生がつまらなそうって言うのもあるけど、みんなが普通だと思ってるライフスタイルはもう今の時代においては不正解っぽいっていうのもある。

時代の真理と人の認識の差はあって当然なんだけど、ちゃんと気づいてる身としては新時代に合ったライフスタイルを送りながら充実した人生を送りたい。

 

まだ構想段階だけど、今までは見えなかった人生のビジョンが少しずつ見え始めていて、ハッキリしたゴールが明確になりそうなので、何とかその答えに辿り着きたい。

お金の奴隷から解放された今だからこそ、分かることやできることも沢山あるはず。

 

ということで、なるべく普通を避けて自分らしく個性的な毎日を送って成長していく為に、いくつもの選択肢を正しく選んでいこう。

自分なりの正解は、自分しか分からないからね☆

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