誰そ彼

色々考えさせられる。

別に悩みとか不満とかが、
あるわけじゃないけど。

仕事、恋愛、夢、友達、日常生活。

自分の人生って、何なんだろ?

『誰そ彼』は、黄昏の語源らしい。
直接的な意味は「彼は誰?」。

昼でも夜でもない日が沈む時間帯。
あの世とこの世。違う時間軸。
異なる世界が交わる時。
そんな幻想的な時。
そんな誰そ彼時に、浸ってる気分。

 

朝、目が覚めると、
今日も生きよう、
まだ生かされてるって思う。

そしてまたいつもの1日が始まる。

それはとても幸せなこと。

 

でも何か足りない。
何かをずっと探してる。

多分それはきっと、
今の自分に足りない何か。

現状の日々の生活は、
色んな面で満たされてるけど。

足りないものも沢山ある。

正確に言えば、
物や人や、やるべきことは揃ってる。

でも心のどこかが、欠けてる感覚。

何を探してるんだろ?
何を求めてるんだろ?って、
気づいて、考えるようになった。

 

「ねぇ、一体何を欲しがってるの?」

そんなことを考えて、
答えも出ないまま、
仕事が始まり、終わって夜になる。

食事や風呂や連絡や家事をすれば、
もう寝てもいい時間。

そんな忙しない日々。

空き時間に進めている、
起業準備や勉強や制作が、
あまり進まないのも無理ないかも。

 

友達と楽しくはしゃいでも、
彼女と愛し合っても、
1人で趣味に走っても、
それでも足りない何か。

お金でも物でも人でもない何か。

てか、その3つ以外で何がある?

お金と物と人に恵まれていれば、
他に何が足りないっていうんだ?

 

足りないものは、自分の気持ち?

変化のない生活?普通の生活?

希望?感動?仲間?熱さ?

楽しさ、喜び、幸せ。
そういう感情に慣れ過ぎた?

いつの間にか流されてる?

 

きっと、大切な何かを忘れてる。

なかったことにしてる。
忘れちゃいけない何かを。

忘れてしまったことさえ忘れてる。

忘れるという感じは、亡くす心と書く。

いつの間にか、大切な何かを忘れて、
自分の本当の心が、
亡くなっていたのかもしれない。

もう思い出せないくらい、
ずっとずっと前から。

 

本当の自分を閉じ込めて、押し殺して、
本当の感情が表面化しないようにした。

相手の気持ちを優先して、
場にふさわしい自分を演じた。

欲しいものを欲しいと言えなくなった。
嫌なことをしたくないと言えなくなった。

そんな風に、抑えつけられて生きてきた。

勝手に規則を押し付けられて、
そこからはみ出れば、悪とされた。

個性なんて必要とされない風習。

求められるのは、ふさわしい人。

そうして皆、大人になるにつれ、
本当の自分を亡くしていく。

俺も例外じゃなかった。

代わりに、
「面白いね」「楽しいね」「好きだよ」
「良い人だね」「優しいね」「できる人だね」
って言われて、認められるようになったし、
実際、そういう評価を求めてた。

 

だから何?

取り繕った仮面を褒められても、
何も嬉しくない。虚しいだけ。

他人と共有しやすい理性なんて、
心と感情の邪魔をするだけ。

そう、きっと、
何か欠けてるような、
足りないような何かは、
本当の自分の感情

仮面を取り繕った自分から見た、
本当の自分は「誰そ彼」。

本当の自分から見た、
仮面を取り繕った自分も「誰そ彼」。

両方大事で、両方必要。

でもね、やっぱり・・。

本当の自分で生きていきたい。

そうやって生きていく為に、
何かしなければいけない。

それがきっと、青春なんだ。

世界に希望と感動を与えられたとしても、
本当の自分でいられなきゃ意味がない。

 

きっと、俺だけじゃない。

世の中のほとんどの大人達は、
本当の自分を見失って、忘れてる。

そのまま年老いて、
色んな可能性が狭くなっていって、
どんどん色んなことを諦めていく。

やがて、後悔しながら、
あるいは、後悔すらできないまま、
人生が終わる。

それじゃダメなんだ。絶対に。

 

「このままでいいの?」

自分にそう問いかけてみよう。

答えが「いいえ」なら、
何かを変えなきゃいけないんだ。

時間がなくても、力がなくても、
気持ちだけは、絶対に諦めちゃいけない。

自分にとっての青春が、絶対にある。

本当の自分は、完全に消えたりしない。

だから青春しよう。

いくつになっても、いつまでも、ね。

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