お金の奴隷

お金の為に何かをしたり、
重要な決断をしてる人は、
お金の奴隷。

お金に支配され、お金に依存して、
お金を稼ぐ為に生きている。

それをお金の奴隷と呼ばずして、
何と呼べるだろう。

 

お金の奴隷

お金の為に嫌なことばかりして、
時には犯罪を起こして、
色んな大切なものを犠牲にする。

希望や未来、人生を捨てて、
お金の奴隷になることに、
一体何の意味があるんだろう。

理解できないよ。

 

お金が世の中を回ってるおかげで、
嫌なことをしてくれる人達がいて、
社会は成立してるかもしれない。

でも例えば、凄く良い作品があって、
作った人は、その作品を、
多くの人に届けたいとする。

その作品を知った人は、
その作品を欲しがったとする。

作り手と買い手の気持ちは、
見事に一致している。

でもお金が足りなくて買えなかったら?

お金のせいで届けられない。
お金のせいで手に入らない。

これは凄く当たり前のことだけど、
冷静に考えてみると、
何だか違和感があるというか、
お金に邪魔されてる感がある。

 

お金を稼ぐ為に作った作品なら、
お金を持ってない人は、
届けたい相手ではない。

売り手と買い手の気持ちが
一致してないから、
与えないし受け取れない。

それは当然だから仕方ない。

でも、何かを与えたい人がいて、
受け取りたい人がいる場合なら、
お金の制約なんていらないと思う。

与えたい人は与えればいいし、
受け取りたい人は受け取ればいい。

それは理想論で、
現実は、そんなに単純じゃないけど。

本来あるべき姿は、もっと人間らしく、
与えたり、与えられる繋がりだと思う。

 

欲しいものが買えないのも、
したいことができないのも、
お金がなくてできないのなら、
お金を稼げばいい。

与えられることを待つのではなく、
自ら手に入れよう。

それは難しいことけど。

自分の力でお金を稼げれば、
お金の奴隷にはならなくて済む。

給料としてお金をもらうのではなく、
社会に貢献したり、
世界や誰かに価値を提供したり、
何かを生み出すことができれば、
お金は自然に手に入るもの。

だってお金の正体は「信用」だから。

 

今とこれからの時代は、
本当の価値と信用が問われる。

我慢して嫌な仕事をしたり、
言われたことだけしていれば、
幸せに生きられる時代なんて、
もうすぐ終わる。

もう実際に、終わりかけてる。

それに気づいたり、感じたりできたなら、
お金の奴隷状態から、
自分を解放してあげて。

新時代は、もうとっくに始まってる。

置いていかれないで。

自分なりの青春を探して見つけて、
迷わず走り出すんだ。

お金の奴隷なんかにならず、
自分の人生を生きていく為に。

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